以前、入魂式を執り行った堺市西地蔵会太鼓台。
板谷工務店で製作された太鼓台ですが、よく見てみると他に類を見ないふとん太鼓になっています。
それは下半身が “淡路型” で上半身が “堺型” になっているのです。
それは土呂台の土呂柱と四本柱を見るとよく分かり、土呂柱はケヤキで四本柱は黒檀になっています。
こっちのほうが耐久性に優れいるとか…
折衷型地車第1号は昭和6年に大宗こと植山宗一郎師が製作した河合地車(元田中町地車)で、最初見た時は度肝をぬかれたでしょうね・・・。
従って、彫物は堺型で多く見られる花鳥物中心ではなく合戦物が多く取り入れていました。
太鼓台で猫木がついてるのなんて初めて見ました。
土呂台も堺型なら豪華な彫物が施されますが、淡路型のようにシンプルな土呂台となっています。
堺型太鼓台は通し柱なのですらっとした印象ですが、西地蔵会太鼓台は通し柱ではないのでどっしりした印象です。
縁隅木は西地蔵会通称 “西脇” とありました。
どのような意味なのでしょうか…
・・・昔から『京都の着倒れ、江戸の履き倒れ、大阪の食い倒れ、堺の建て倒れ』と言われるほど昔の堺衆は、建物に工夫を凝らしたと云われています。
実際、地車のようにパッと見てわかるものではないですが、よ~く見てみるとすごく工夫が凝らされており、堺にぴったりな銘太鼓台が誕生したと思います。
あくまでも今までの意見は個人的な意見なのでお気を悪くしないで下さい。
板谷工務店で製作された太鼓台ですが、よく見てみると他に類を見ないふとん太鼓になっています。
それは下半身が “淡路型” で上半身が “堺型” になっているのです。
それは土呂台の土呂柱と四本柱を見るとよく分かり、土呂柱はケヤキで四本柱は黒檀になっています。
こっちのほうが耐久性に優れいるとか…
折衷型地車第1号は昭和6年に大宗こと植山宗一郎師が製作した河合地車(元田中町地車)で、最初見た時は度肝をぬかれたでしょうね・・・。
従って、彫物は堺型で多く見られる花鳥物中心ではなく合戦物が多く取り入れていました。
太鼓台で猫木がついてるのなんて初めて見ました。
土呂台も堺型なら豪華な彫物が施されますが、淡路型のようにシンプルな土呂台となっています。
堺型太鼓台は通し柱なのですらっとした印象ですが、西地蔵会太鼓台は通し柱ではないのでどっしりした印象です。
縁隅木は西地蔵会通称 “西脇” とありました。
どのような意味なのでしょうか…
・・・昔から『京都の着倒れ、江戸の履き倒れ、大阪の食い倒れ、堺の建て倒れ』と言われるほど昔の堺衆は、建物に工夫を凝らしたと云われています。
実際、地車のようにパッと見てわかるものではないですが、よ~く見てみるとすごく工夫が凝らされており、堺にぴったりな銘太鼓台が誕生したと思います。
あくまでも今までの意見は個人的な意見なのでお気を悪くしないで下さい。