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Channel: 河内の銘太鼓台
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神立だんじり

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昔は河内の多くが太鼓台ではなく地車だったという話を以前ブログで書きました。

中でも高安地区には現在でも地車が多く残っており、中には曳かれていない地車も存在します。

神立は残念ながら現在では曳かれておらず宮入の時のみ小屋のシャッターが開けられるのです。
そんな神立の地車をゆっくり見る機会がありました。

神立だんじり

明治30年頃製作

大工:不明
彫師:小松一門、その他多数



《姿見》

イメージ 1

▲通称八尾型と呼ばれる地車です。
曳かれていないものの青年団の方が掃除をされておられました。
一眼レフを持ち合わせていたんですが、曇り&小屋内だったのでスマホで撮影しました。



《主屋根廻り》

イメージ 2

▲独特なのはまずここから。
虹梁と車板の間に龍の彫物が入ってます。
多くの地車ではあまり見られない細工です。
屋根廻りは小松系かな?・・・かなりデカめの隣懸魚かっこいい!!



《後屋根廻り》

イメージ 3

▲主屋根の龍と違って後屋根は虎や獅子が中心。
ここにも虹梁の上の彫物は健在です。



イメージ 4

▲脇障子は針金で止められており、痛みが激しかったです。



イメージ 5

▲勾欄合の彫物。
ここらへんから彫物も風作が変わって行きます。
和泉彫りっぽいような・・・?



イメージ 11

▲何かを作っている大工の彫物・・・後ろに波があるので船大工かな?



イメージ 12

▲次は武者物です。
雰囲気最高ですね(^^)


《腰廻り》

イメージ 6

▲土呂幕の上の彫物です。
・・・馬車に乗る唐子、いいですね。



イメージ 7

▲猿の目はガラス目でした。



イメージ 9

▲力神も最高です!!



イメージ 8

▲土呂幕にも良い彫物が入ってたんですが下勾欄で見えません( ̄▽ ̄)



イメージ 10

▲この地車の中で僕が1番気に入った彫物は下勾欄の勾欄合、図柄は日露戦争と日清戦争。
この勾欄合は服装から見て日清戦争かと…
もちろん刀ではなく銃が彫られており、中国兵は赤で彩色されています。



イメージ 13

▲こちらも日清戦争でしょうか。



イメージ 14

▲馬に乗っていない兵は帽子に☆印があるので日本兵でしょうか?
日露戦争が終わったのが1905年、明治38年なので製作されたのは明治38年以降ではないのかなと思います。



イメージ 15

▲前梃子が付いていました。
台木なんですが虫食いが酷かったんです。
曳行方法は大阪寄りなのかな?



この地車、郡川と交換したとか川に落ちたとかよくコケタとか・・・。
いろいろな逸話があるみたいです。
・・・昔の祭り話あるあるですね…
情報を提供して頂いたしみきんさん、ありがとうございます。



復活を願います。

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