昔は河内の多くが太鼓台ではなく地車だったという話を以前ブログで書きました。
中でも高安地区には現在でも地車が多く残っており、中には曳かれていない地車も存在します。
神立は残念ながら現在では曳かれておらず宮入の時のみ小屋のシャッターが開けられるのです。
そんな神立の地車をゆっくり見る機会がありました。
神立だんじり
明治30年頃製作
大工:不明
彫師:小松一門、その他多数
《姿見》
曳かれていないものの青年団の方が掃除をされておられました。
一眼レフを持ち合わせていたんですが、曇り&小屋内だったのでスマホで撮影しました。
《主屋根廻り》
虹梁と車板の間に龍の彫物が入ってます。
多くの地車ではあまり見られない細工です。
屋根廻りは小松系かな?・・・かなりデカめの隣懸魚かっこいい!!
《後屋根廻り》
ここにも虹梁の上の彫物は健在です。
ここらへんから彫物も風作が変わって行きます。
和泉彫りっぽいような・・・?
雰囲気最高ですね(^^)
《腰廻り》
・・・馬車に乗る唐子、いいですね。
この勾欄合は服装から見て日清戦争かと…
もちろん刀ではなく銃が彫られており、中国兵は赤で彩色されています。
日露戦争が終わったのが1905年、明治38年なので製作されたのは明治38年以降ではないのかなと思います。
台木なんですが虫食いが酷かったんです。
曳行方法は大阪寄りなのかな?
この地車、郡川と交換したとか川に落ちたとかよくコケタとか・・・。
いろいろな逸話があるみたいです。
・・・昔の祭り話あるあるですね…
情報を提供して頂いたしみきんさん、ありがとうございます。
復活を願います。
中でも高安地区には現在でも地車が多く残っており、中には曳かれていない地車も存在します。
神立は残念ながら現在では曳かれておらず宮入の時のみ小屋のシャッターが開けられるのです。
そんな神立の地車をゆっくり見る機会がありました。
神立だんじり
明治30年頃製作
大工:不明
彫師:小松一門、その他多数
《姿見》
曳かれていないものの青年団の方が掃除をされておられました。
一眼レフを持ち合わせていたんですが、曇り&小屋内だったのでスマホで撮影しました。
《主屋根廻り》
虹梁と車板の間に龍の彫物が入ってます。
多くの地車ではあまり見られない細工です。
屋根廻りは小松系かな?・・・かなりデカめの隣懸魚かっこいい!!
《後屋根廻り》
ここにも虹梁の上の彫物は健在です。
ここらへんから彫物も風作が変わって行きます。
和泉彫りっぽいような・・・?
雰囲気最高ですね(^^)
《腰廻り》
・・・馬車に乗る唐子、いいですね。
この勾欄合は服装から見て日清戦争かと…
もちろん刀ではなく銃が彫られており、中国兵は赤で彩色されています。
日露戦争が終わったのが1905年、明治38年なので製作されたのは明治38年以降ではないのかなと思います。
台木なんですが虫食いが酷かったんです。
曳行方法は大阪寄りなのかな?
この地車、郡川と交換したとか川に落ちたとかよくコケタとか・・・。
いろいろな逸話があるみたいです。
・・・昔の祭り話あるあるですね…
情報を提供して頂いたしみきんさん、ありがとうございます。
復活を願います。