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Channel: 河内の銘太鼓台
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そもそもフトンダイコって?

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前回、ふとん太鼓の雄太、雌太について書きましたが今回はそもそもふとん太鼓がどういうモノなのか・・・という事について触れたいと思います。


そもそも・・・。

ふとん太鼓というのは大阪の泉州(堺、貝塚、泉佐野)、河内を中心に京都、奈良、淡路(現地の呼び名は檀尻)、香川県、岡山県など西日本を中心に多く存在します。

太鼓台というカテゴリーで言うと九州まで太鼓台文化は広がっています。


多くは堺の出島港から船を通じて西日本各地に広がって行ったのではないかと思われます。



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ふとん太鼓というのは天(空)から地を表しており、トンボは雲を表しています。



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従って、地面に近い土呂幕部分には龍や雲と言った空に関係する彫物は基本的に彫りません、彫るのであれば獅子や武者物が好まれます。(例外も有)



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多くのふとん太鼓は5段の赤のふとんが乗ります。
このふとんは神様に座ってお休み頂くようにふとん・・・まぁ座布団のような形でふとんを5段積んでいます。
『五』という数字は日本文化において非常に重要な数字であり、重んじてきました。
五重の塔や、吹流しの色も『五』なのであります。

また、赤には魔除けの意味があると言われ他には神様の力を高める色など諸説あるそうです。



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また、5段以外に3段、7段と奇数が好まれます。
七五三を始め昔から奇数には特別な意味があるみたいです。



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なので紅提灯の数も奇数になります、たいがい5個が多いです。



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でも横小路や日下は6個なので、一概には言えないんですが…



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江戸後期~明治にかけて堺や河内でふとん太鼓ブームが到来します。
堺では地車騒動のため地車禁止令、河内では近鉄の高架が出来た事により、地車からふとん太鼓に変える村が続々とふとん太鼓を新調し、大坂浪速の彫師、小松や相野一門が多くのふとん太鼓を手掛けました。



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浪速彫師の特徴と言いますと一枚物で唐獅子や龍を得意とする彫物。
あまり武者物は彫られませんでした。

当時は地元の大工や宮大工が制作しており大きさもそんなに大きくありません。



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播州黒田正勝、淡路開親子、井波川原啓秀が大坂に名を轟かすのは、まだまだ後の事であります。

3段、4段と彫られた立体感のある狭間・・・写実的に彫られた歴史絵巻には当時の人々は驚いた事でしょう。



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昭和4年柏木福平によって制作された大県太鼓台、彫師は川原啓秀。

明治~大正になると柏木福平、大歳屋などふとん太鼓の制作を得意とする大工が誕生し、彫師淡路開親子や井波川原とタッグを組むようになりました。




河内、堺でのふとん太鼓新調ブームが過ぎると船を通じてふとん太鼓の売買が行われるようになり、淡路の檀尻が大阪に入って来るようになり大阪のふとん太鼓が淡路や小豆島へ流れて行きました。



いろいろふとん太鼓って奥が深いんです。

先人達はここからふとん太鼓の最大限の魅力を見い出し、いかにカッコよく魅せるか・・・カッコよく魅せるためにはどうすればいいか、という事を研究されて来たんだと思います。

◯◯よりえぇ音の太鼓を、◯◯よりえぇ彫物を、◯◯よりデカく・・・。

どこの村も◯◯には負けたくない!と思って良い意味でのライバル関係があったからこそ現在に在る、フトンダイコに進化したのです。



心の底から祭が好き、心の底からふとん太鼓が好きなのであれば、このような事に興味を持ってみるのも面白いかも知れません。

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