2月18日、現在では担がれなくなった太鼓台を見学して来ました。
今日はその太鼓台についてレポートしたいと思います。
堺市堺区月洲神社、南海七道駅を海側に歩いて行くと住宅やマンションの間にポツンと鎮座しています。
今回特別に小屋を開けて見学させて頂きました。
南嶋町太鼓台 幕末~明治頃製作
大工 堺の大工
彫師 和泉彫(高松彦四郎?)
※製作年代、大工、彫師については個人的な推測です。
※大昔に堺市並松町より南嶋が購入、南嶋で長い間担がれるが昭和30年代に休止。
休止してからは祭礼時に飾り付けをして小屋から出してたが、ここ何十年は閉まったまま。
《姿見》
現在は物置状態になってしまってるんですが、その容姿はどっしりしており、丸柱ではなく角柱、そして土呂幕に彫物は付きません。
《屋根廻り》
現存しているのは藤井寺市小山、東湊、そしてこの太鼓台の3台やと思います。
江戸~大正にかけて垂木無しの雲板の太鼓台が多く作られましたが、大正以降は垂木が主流になったみたいです。
建築用語ではこけら葺きと言って寺社仏閣でよく見られる工法です。
正面狭間 天の岩戸
彫師についてですが、全体の意匠を見てパッと思いついたのが、高松彦四郎。
大和高田市の大和地車と良く似ています。
多少欠損しているものの、目立った欠損はなく塗料を塗られる事もなく保存状態は良いです。
ここから高松彦四郎にしか見えなくなってきました。笑
(逆光なので写り悪いです、ご勘弁!)
どうやら狭間は神話物で統一みたいです。
しかーし!!おもっき陣幕見えとるやないかえ!!
何彫ってんや!めちゃめちゃ気になる。
一緒に行ってた大阪太鼓同好会くんと一緒に太鼓台に乗らして頂いて見せて頂きたい、とお願いすると快く承諾して下さいました。
正直、びびりましたね、ここに櫻井の駅を入れるかと!!
それにしても3面とも神話物で1面だけ外す、そこに大坂を題材とした櫻井の駅を入れるとはなんと粋な事でしょう、しびれましたわ。
この後、お父さんの正成は湊川の戦いで亡くなってしまうんですよね。
裏側から見えてた陣幕は菊水の陣幕やったんですね!
下側の地面まで彫られてました。
《腰廻り》
素晴らしい隠し額です。
《おまけ》
例えばで言うと金閣寺がこの工法だそう、テリが良いですね。
ふとん台にも地彫りが施されてますが、ふとん締めの金具が付いてました。
ふとん台の下側にも地彫りの細工が。
大切にされてますね、感動です。
ふとんの事をカゴと呼ぶのはこのような竹で編んでいたことからカゴと言われるようになったみたいです。
この頃は元気よく担ぎ出されたんですね、月洲神社と南嶋の文字が確認できます。
秋祭りに太鼓台が出てたみたいですが現在では神事のみみたいです。
最後に・・・。
復活してほしいと切に願っています。
しかし、人手不足が懸念されている世の中復活するのは難しい事だと思います。
それでも倉庫に太鼓台がある事によって子供達が太鼓に触れる機会があり、また太鼓台の存在を知るチャンスでもあります。
いくら物置状態になっても、倉庫に太鼓台がある限り太鼓台には大切な役割があると思います。
僕が思った事、感じた事、そしてどれだけ良い太鼓台なのか、全て神社の方にお伝えさせて頂きました。
神社の方には大変お世話になりまして、ありがとうございました。
倉庫に眠る銘太鼓台でした。
今日はその太鼓台についてレポートしたいと思います。
堺市堺区月洲神社、南海七道駅を海側に歩いて行くと住宅やマンションの間にポツンと鎮座しています。
今回特別に小屋を開けて見学させて頂きました。
南嶋町太鼓台 幕末~明治頃製作
大工 堺の大工
彫師 和泉彫(高松彦四郎?)
※製作年代、大工、彫師については個人的な推測です。
※大昔に堺市並松町より南嶋が購入、南嶋で長い間担がれるが昭和30年代に休止。
休止してからは祭礼時に飾り付けをして小屋から出してたが、ここ何十年は閉まったまま。
《姿見》
現在は物置状態になってしまってるんですが、その容姿はどっしりしており、丸柱ではなく角柱、そして土呂幕に彫物は付きません。
《屋根廻り》
現存しているのは藤井寺市小山、東湊、そしてこの太鼓台の3台やと思います。
江戸~大正にかけて垂木無しの雲板の太鼓台が多く作られましたが、大正以降は垂木が主流になったみたいです。
建築用語ではこけら葺きと言って寺社仏閣でよく見られる工法です。
正面狭間 天の岩戸
彫師についてですが、全体の意匠を見てパッと思いついたのが、高松彦四郎。
大和高田市の大和地車と良く似ています。
多少欠損しているものの、目立った欠損はなく塗料を塗られる事もなく保存状態は良いです。
ここから高松彦四郎にしか見えなくなってきました。笑
(逆光なので写り悪いです、ご勘弁!)
どうやら狭間は神話物で統一みたいです。
しかーし!!おもっき陣幕見えとるやないかえ!!
何彫ってんや!めちゃめちゃ気になる。
一緒に行ってた大阪太鼓同好会くんと一緒に太鼓台に乗らして頂いて見せて頂きたい、とお願いすると快く承諾して下さいました。
正直、びびりましたね、ここに櫻井の駅を入れるかと!!
それにしても3面とも神話物で1面だけ外す、そこに大坂を題材とした櫻井の駅を入れるとはなんと粋な事でしょう、しびれましたわ。
この後、お父さんの正成は湊川の戦いで亡くなってしまうんですよね。
裏側から見えてた陣幕は菊水の陣幕やったんですね!
下側の地面まで彫られてました。
《腰廻り》
素晴らしい隠し額です。
《おまけ》
例えばで言うと金閣寺がこの工法だそう、テリが良いですね。
ふとん台にも地彫りが施されてますが、ふとん締めの金具が付いてました。
ふとん台の下側にも地彫りの細工が。
大切にされてますね、感動です。
ふとんの事をカゴと呼ぶのはこのような竹で編んでいたことからカゴと言われるようになったみたいです。
この頃は元気よく担ぎ出されたんですね、月洲神社と南嶋の文字が確認できます。
秋祭りに太鼓台が出てたみたいですが現在では神事のみみたいです。
最後に・・・。
復活してほしいと切に願っています。
しかし、人手不足が懸念されている世の中復活するのは難しい事だと思います。
それでも倉庫に太鼓台がある事によって子供達が太鼓に触れる機会があり、また太鼓台の存在を知るチャンスでもあります。
いくら物置状態になっても、倉庫に太鼓台がある限り太鼓台には大切な役割があると思います。
僕が思った事、感じた事、そしてどれだけ良い太鼓台なのか、全て神社の方にお伝えさせて頂きました。
神社の方には大変お世話になりまして、ありがとうございました。
倉庫に眠る銘太鼓台でした。