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Channel: 河内の銘太鼓台
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楽音寺先々代太鼓台

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八尾市楽音寺、八尾市と東大阪市の境界であります。



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現在は平成15年に吉為工務店で新調された太鼓台が活躍しています。

先日、とある方から楽音寺の先々代の写真が見つかったという連絡を受けて拝見してきました。



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▲昭和28年撮影
どうですか?厳ついでしょ?これが楽音寺先々代(初代)太鼓台です。
楽音寺先々代は正真正銘貝塚型太鼓台でした。
1本のふとん締めの両隣には “樂音寺” と書かれた行灯が・・・かっちょえっ!!



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▲昭和28年撮影
当時ではものすごく大きい太鼓台でしたが、この太鼓台を前後左右一番棒の華に1人ずつ入って4人で担いでたそう…
その事を “四つ頭” と呼んだそう、今では考えられません。



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▲昭和28年撮影
中河内独断の笹が付き、御花御礼の紙をぶら下げます。
この太鼓台は貝塚の遊郭に展示されてあった “置太鼓” と言うもの。
それだけ当時の花街は賑やかで活気付いてたんでしょう、現在は無くなってますが駅前の商店街から1本入ると遊郭跡が残ってます。



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▲昭和26年撮影
先ほどの写真と違うのは黒トンボ(黒魔羅)だと言う事。
あともう一つ注目して頂きたいのが衣装です。
皆さん締め込み姿で、村相撲が盛んだったこの頃、まだ法被を着るという文化が無かった為皆さん締め込み姿なのです。
今となっては揃いの法被、衣装を着るのが当たり前ですがこの頃は締め込みが儀礼装束だったのです。

また、ふんどしとは言ってはいけません。
現在でも播州や博多祇園山笠など締め込み姿で祭を行っている地域はたくさんあります。
その地域の方々からしたらふんどしと呼ばれるとムッとするそうです、ふんどしは下着で締め込みは儀礼装束なのです。



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▲昭和26年以前撮影
この写真の中に化粧廻しを着用してる方が写っています。
村相撲で勝ち進んだ者が化粧廻しを締めます。



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▲そして村で1番強い者と2番目に強い者が太鼓台や地車の前に化粧廻しを締めて乗る事が出来たのです。
これは楽音寺に限らず村相撲が盛んだった地域で見られる事で、現在では主に北河内地域で見られます。



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▲しかし昭和30年手前に先々代の貝塚型太鼓台が転倒、転倒を機に淡路型太鼓台を新調したそうです。
写真は先代(二代目)太鼓台入魂式。



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▲楽音寺先代太鼓台は現在は万願寺式部へ嫁ぎ活躍しています。



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さて、今年の高安夏祭り!!
毎年、海の日直前の土日に行われ最終日には旧外沿い松の馬場にて担ぎ合いが行われます。

神立、楽音寺、水越、大竹、千塚の5町で行なってましたが、今年から大窪、郡川が加わり合計7町で行われる事になりました!!!パチパチ


ますます盛り上がって行く事でしょう。

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