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10月21日~23日

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【21日(土)】

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この日も土砂降りの雨。
昼間ちょっとだけ池島へ行きました。
雨ですが乾は元気でした!



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続いて巽町。



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レトロな建物と太鼓台。



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最後は橋詰。



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池島の昼間はここ何年見れてませんでしたが、昔引越しする前に住んでたのが池島だったのでちっちゃい頃は池島の太鼓を昼間からよう見てました。
・・・久しぶりに見れて良かったです(^^)



っと・・・翌日22日は台風の影響により池島も梶無も中止に…
僕の住んでる地域も避難勧告が発令されたほどの強い雨。
皆さんご無事だったでしょうか・・・?



【23日(月)】

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池島は最終日が中止となり梶無は初日が中止となりまして、23日梶無の最終日はやっと晴れてくれました。
昼間ちらっと覗いてきました、まずは櫻井。



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こちらは小太鼓。



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続いて上六。



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小太鼓です、上六は元気良く担いでました!



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大太鼓、小太鼓共に横小路まで担ぎ切りました。



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下六の小太鼓。



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最後は大太鼓、このあと3町合同で巡行が続きました。



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日が暮れまして、宮入へ。
僕が着いた時には下六の宮入が終わってしまっており、2番の上六からです。



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この時にいろんな方々から声を掛けて頂き少し太鼓談義。



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サセ綺麗に決まりました。
今年は1日だけなのでこのサセに気合いが入ってた事でしょう。



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続いて櫻井。
・・・安定のサセです、凄い。



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何度も何度もサセをします、ほんまに綺麗です。



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最後は鳥居の前で締め太鼓。



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ここで宮入が終了しました。



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宮入が終わると半堂池前で櫻井の担ぎ合い。



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そこから上六の担ぎ合いへ、小太鼓からです。



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最後は大太鼓。



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これにて梶無神社の秋祭りが終了しました。

今年は台風のおかげで、予定が大幅に変更され大変やったと思います。

池島に関しては今週末、最終日が中止になった為に太鼓を出す所もあるそうです。

皆さまお疲れ様でした。

雄太・雌太⑵

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今日は以前にちらっと書きましたが雄太と雌太について、少し踏み込んだ事を書きたいと思います。

この雄太・雌太(オンタ・メンタ)ですが、主に枚岡周辺、中河内地域で生まれた言葉であり良く使われる言葉であります。

以前、堺の方に聞いたんですが『大体は知ってるよ』ぐらいでした。
また貝塚の方に聞いたら『うっとこらそんな言い方しやん』との事。


はっきり言って雄太、雌太のはっきりした定義というのは “存在しません” 。

なので正直、皆さんおっしゃる事がバラバラであったりします。

て事で、今日は僕なりに考えた事を前回のおさらいをしつつ書いていきたいと思います。



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まず中河内、堺のふとん太鼓を中心にボテの四隅に “トンボ” というのが付きます。
なお、このトンボですが地区によって “ムスビ” “ツノ” “デンデン” など呼び方がバラバラです。

今回呼び名はトンボで統一しますが、このトンボが雄太、雌太を区別する大きな手掛かりになります。



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前回はトンボが立ってる、立っていないで区別しましたが、詳しく言うと雄太、雌太では結び方が異なります。
これを雄結び・雌結び(オンムスビ・メンムスビ)と言います。

写真上部、雌結びは真ん中でX状になっています。
一方、雄結びは真ん中に1本渡し、三角形になっているのが特徴。

この結び方だと先っぽが自然に雌結びが下を向き、雄結び方が上を向くのです。



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雄結びを上から見るとこんな感じ。
・・・ぐるっと真ん中で1本渡します。



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しかし、最近では雌結びでもトンボが立ってる場合があります。

まぁ…自分とこの太鼓も雌結びやのに立ってるので何とも言えないんですが、ある程度流行りに乗らないと人が集まらなくなり祭りが出来ないと言った事になってしまうので、時代の流れに乗るのも良いかなと。

でもこの場合でも結び方はなんら変わらないので雄太、雌太を見分ける1つの方法ですね。



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じゃあトンボのない太鼓はどうなんねん!!

ここら辺から話はややこしくなります。
中河内でも黒谷から恩智、恩智から平野にかけてトンボのないふとん太鼓が存在します。

この場合は大阪型の太鼓台か淡路型の太鼓台かで見分けると良いかと。
大阪型と淡路型の違いもなかなかややこしいんですが・・・。


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じゃあこの場合は?

トンボで特徴があると言ったら日下でしょう、中学まで日下に居たので見慣れてますがまぁこんなトンボ他には無いです。

実際日下は雌太です、なのでこの場合はトンボの立ってる立っていないが重要になってくると思います。



僕が思っている雄太、雌太の違いは以上です。
正解があってないようなもんなので僕もズバッと言えないのが正直なところ…

次回はふとん太鼓本体の方について詳しく書きたいと思います。

そもそもフトンダイコって?

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前回、ふとん太鼓の雄太、雌太について書きましたが今回はそもそもふとん太鼓がどういうモノなのか・・・という事について触れたいと思います。


そもそも・・・。

ふとん太鼓というのは大阪の泉州(堺、貝塚、泉佐野)、河内を中心に京都、奈良、淡路(現地の呼び名は檀尻)、香川県、岡山県など西日本を中心に多く存在します。

太鼓台というカテゴリーで言うと九州まで太鼓台文化は広がっています。


多くは堺の出島港から船を通じて西日本各地に広がって行ったのではないかと思われます。



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ふとん太鼓というのは天(空)から地を表しており、トンボは雲を表しています。



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従って、地面に近い土呂幕部分には龍や雲と言った空に関係する彫物は基本的に彫りません、彫るのであれば獅子や武者物が好まれます。(例外も有)



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多くのふとん太鼓は5段の赤のふとんが乗ります。
このふとんは神様に座ってお休み頂くようにふとん・・・まぁ座布団のような形でふとんを5段積んでいます。
『五』という数字は日本文化において非常に重要な数字であり、重んじてきました。
五重の塔や、吹流しの色も『五』なのであります。

また、赤には魔除けの意味があると言われ他には神様の力を高める色など諸説あるそうです。



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また、5段以外に3段、7段と奇数が好まれます。
七五三を始め昔から奇数には特別な意味があるみたいです。



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なので紅提灯の数も奇数になります、たいがい5個が多いです。



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でも横小路や日下は6個なので、一概には言えないんですが…



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江戸後期~明治にかけて堺や河内でふとん太鼓ブームが到来します。
堺では地車騒動のため地車禁止令、河内では近鉄の高架が出来た事により、地車からふとん太鼓に変える村が続々とふとん太鼓を新調し、大坂浪速の彫師、小松や相野一門が多くのふとん太鼓を手掛けました。



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浪速彫師の特徴と言いますと一枚物で唐獅子や龍を得意とする彫物。
あまり武者物は彫られませんでした。

当時は地元の大工や宮大工が制作しており大きさもそんなに大きくありません。



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播州黒田正勝、淡路開親子、井波川原啓秀が大坂に名を轟かすのは、まだまだ後の事であります。

3段、4段と彫られた立体感のある狭間・・・写実的に彫られた歴史絵巻には当時の人々は驚いた事でしょう。



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昭和4年柏木福平によって制作された大県太鼓台、彫師は川原啓秀。

明治~大正になると柏木福平、大歳屋などふとん太鼓の制作を得意とする大工が誕生し、彫師淡路開親子や井波川原とタッグを組むようになりました。




河内、堺でのふとん太鼓新調ブームが過ぎると船を通じてふとん太鼓の売買が行われるようになり、淡路の檀尻が大阪に入って来るようになり大阪のふとん太鼓が淡路や小豆島へ流れて行きました。



いろいろふとん太鼓って奥が深いんです。

先人達はここからふとん太鼓の最大限の魅力を見い出し、いかにカッコよく魅せるか・・・カッコよく魅せるためにはどうすればいいか、という事を研究されて来たんだと思います。

◯◯よりえぇ音の太鼓を、◯◯よりえぇ彫物を、◯◯よりデカく・・・。

どこの村も◯◯には負けたくない!と思って良い意味でのライバル関係があったからこそ現在に在る、フトンダイコに進化したのです。



心の底から祭が好き、心の底からふとん太鼓が好きなのであれば、このような事に興味を持ってみるのも面白いかも知れません。

2017年振り返り

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今年も残すところ、あと数時間!!

今年もいろんな所に行ってまいりました( ̄▽ ̄)

皆さん、今年1年どんな年でしたか~?

僕は平凡な1年でした、まぁ何より…


僕自身来年は高校を卒業し、社会人となります。

大学は行かずに就職なので、自由な時間は少なくなるかな?

ってまず高校卒業出来るかな?


まぁ、余談は置いときまして、ざっと振り返ってみたいと思います。



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今年1発目は4月2日の旧市上町の入魂式からでした。
こなから~カンカン場と勢いのあるやり回し、見に行けて良かったです!



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その後包近~客坊の春祭りと初っぱなからたくさん行きました。



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5月に入りGW、毎年行ってます、播州国恩祭。
今年は神谷八幡神社でした。



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5月5日は枚岡神社小太鼓祭り。
河内の法被を着て参加させて頂きました。



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GW最終日はここも毎年行ってます、半田山車祭り。
今年は亀崎の潮干祭でした。



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5月21日、ふとん太鼓に革命が起こりました。
百舌鳥本町新調入魂式、今まで絶対に無理やと言われていた総黒檀のふとん太鼓が誕生しました。
夢のような総黒檀を実現にされた本町の方々、ほんまにすごいと思います。



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本町入魂式の次週は南寺方地車天満宮宮入。
歴史的瞬間に立ち会うことが出来て良かったです。



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7月に入って貝塚試験担ぎと、本祭り。
今年は南町でお世話になりました。



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今年は初めて佐野の太鼓台も見れました。



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7月の最後は太子町やら万願寺やらよう行きました。



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祭だけではありません、いろんな小屋にもお邪魔しました。
準備中でお忙しい中でも快く太鼓台を見せて下さり、為になる話から後に残らんような話まで…笑
これがまた楽しいんです(^^)



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9月になり八朔祭、今年は行けました!



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山直地区試験曳きに行きました。
メインの交差点以外の場所ではゆったりとした曳行、雰囲気良かったです(^^)



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その後は人生初のやぐらを見て来ました。
なかなか面白かったですよ~。



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10月に入ると各地で秋祭り。



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第1週土日は晴れましたね。



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しかし・・・第2週目からは週末になると必ず雨。
今年はほんまに雨が多かったですわ・・・。




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ラスト梶無は晴れてくれました。



今年の祭、特に秋祭りは雨、雨、雨…
池島や梶無は1日雨のおかげで潰れました。

他にも時間が短縮になったりして、完全不燃焼の方も多いと思います。


来年はもっと晴れてほしい、えぇ祭にしたい!!

・・・そう願うばかりです。


今年1年、このブログを見てくださって頂いた皆様、ありがとうございます。

来年は正直どうなるか!!分かりませんが、ブログは続けて行きたいと思います。


また、可愛がって頂いた皆様、1年間大変お世話になりました、ありがとうございました。


来年もよろしくお願い致します。


皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

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明けましておめでとうございます。

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明けましておめでとうございます。


皆様おすこやかに新春をお迎えのことと存じます。


昨年は何かとお世話になりまして、大変ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



平成30年 元旦 河内の銘太鼓台

平成11年(1999年)石切神社秋季大祭

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以前に書きましたこの記事、皆さん覚えてらっしゃいますでしょうか?

https://blogs.yahoo.co.jp/danziri_2012_0711/19031297.html
▲コレ


おじいの葬式の時に、辻子で電気屋を経営していた親戚が当時最新のビデオカメラで撮った秋祭りのVHSが物置の奥から出てきたとの事。

それは!!と思い翌日取りに行ったのを今でも覚えています。



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っと言ってもこのブログは写真中心のブログですので動画を載せる事は無いですし載せれません( ̄▽ ̄)
僕がYouTubeなどの動画サイトにあげれば良いんですがパソコンに動画を取り込んで・・・というような作業が大の苦手…



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そこで以前から仲良くしてる “河内の太鼓ユーチューバー” こと大阪太鼓同好会くんがVHSの動画をYouTubeにあげてくれました!!



https://youtu.be/H-mTK6uVDVE
▲植附太鼓台入魂式

https://youtu.be/sijEa6UwHFg
▲辻子先代太鼓台宮出

https://youtu.be/yLa0UR6o9go
▲芝先代太鼓台宮出

https://youtu.be/TuL6npyN0Pc
▲植附太鼓台入魂式



辻子と芝は四隅に笹をつけて、サーセサーセで差し上げる、拝殿から鳥居までをただ往復するのではなくグルグル、あっち行ったりこっち行ったり・・・。

この動画は僕が生まれる1年前の動画ですが僕が生まれて間もない頃にはまだ昔の祭が在ったんだなと、胸にしみるものがあります。



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芝先代は南岡へ、辻子先代は解体され、植附先代は梶内へ下取りされてその後どうなったのかは不明。
当時から現在でも元気に活躍してるのは芝先代と日下のみです。



昔はこんなんやったんやなぁ~と思う方も居れば、あぁ懐かしい~と思う方も居てはると思います。

動画を見て何を感じましたか?

月洲神社 南嶋太鼓台

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2月18日、現在では担がれなくなった太鼓台を見学して来ました。

今日はその太鼓台についてレポートしたいと思います。

堺市堺区月洲神社、南海七道駅を海側に歩いて行くと住宅やマンションの間にポツンと鎮座しています。



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ここに現在では担がれなくなった元 “南嶋町太鼓台” が眠っています。

今回特別に小屋を開けて見学させて頂きました。



南嶋町太鼓台 幕末~明治頃製作

大工 堺の大工
彫師 和泉彫(高松彦四郎?)


※製作年代、大工、彫師については個人的な推測です。

※大昔に堺市並松町より南嶋が購入、南嶋で長い間担がれるが昭和30年代に休止。
休止してからは祭礼時に飾り付けをして小屋から出してたが、ここ何十年は閉まったまま。



《姿見》

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▲小ぶりの堺型ふとん太鼓です。
現在は物置状態になってしまってるんですが、その容姿はどっしりしており、丸柱ではなく角柱、そして土呂幕に彫物は付きません。



《屋根廻り》

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▲なんと言ってもこの太鼓台の特徴は屋根が垂木ではなく雲板になっているという事。
現存しているのは藤井寺市小山、東湊、そしてこの太鼓台の3台やと思います。



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▲素晴らしい雲板ですね♪
江戸~大正にかけて垂木無しの雲板の太鼓台が多く作られましたが、大正以降は垂木が主流になったみたいです。



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▲普段目にする事のない、屋根の上です。
建築用語ではこけら葺きと言って寺社仏閣でよく見られる工法です。



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▲何度見ても美しい。



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▲いよいよ狭間に参りましょう!
正面狭間 天の岩戸



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▲素晴らしい、天鈿女命惚れ惚れします。
彫師についてですが、全体の意匠を見てパッと思いついたのが、高松彦四郎。
大和高田市の大和地車と良く似ています。



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▲いやぁ~ほんまに素晴らしい!!
多少欠損しているものの、目立った欠損はなく塗料を塗られる事もなく保存状態は良いです。
ここから高松彦四郎にしか見えなくなってきました。笑



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▲左面狭間 素戔嗚尊大蛇退治



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▲大蛇のガラス目は現在でした(^^)



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▲後面狭間 神功皇后三韓征伐
(逆光なので写り悪いです、ご勘弁!)



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▲神功皇后も良く彫られてましたが武内宿禰も良く彫られてました。
どうやら狭間は神話物で統一みたいです。



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▲右面は壁際なので拝見出来ず・・・。

しかーし!!おもっき陣幕見えとるやないかえ!!
何彫ってんや!めちゃめちゃ気になる。
一緒に行ってた大阪太鼓同好会くんと一緒に太鼓台に乗らして頂いて見せて頂きたい、とお願いすると快く承諾して下さいました。



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▲右面狭間 楠公子別れ櫻井の駅
正直、びびりましたね、ここに櫻井の駅を入れるかと!!
それにしても3面とも神話物で1面だけ外す、そこに大坂を題材とした櫻井の駅を入れるとはなんと粋な事でしょう、しびれましたわ。



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▲楠木正成です、菊水の紋がかっこよろしなぁ~。



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▲正成の子供、楠木正行。
この後、お父さんの正成は湊川の戦いで亡くなってしまうんですよね。



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▲後ろの雑兵さんもよう彫られてました。
裏側から見えてた陣幕は菊水の陣幕やったんですね!



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▲木鼻は松でした。



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▲松ぼっくりも彫られてましたよ、細かいですね。



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▲虹梁がまた良い!!
下側の地面まで彫られてました。



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▲良いですねぇ~♪



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▲珠の籠彫り、最高です!!



《腰廻り》

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▲土呂台は彫物は入らずにバッテンでした。



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▲小山も同様に彫物が無く、古い堺型には彫物は入らずに大正~垂木が付いた頃に土呂台に彫物を入れ出したのかなと…



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▲縁葛の獅子、ガラス目が飛んでしまってますが良いですね。



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▲組みながらもボルトで締める、太鼓台ではよく見ます。



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▲飾りも見せて頂きました、まずは隠し額です。



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▲餝金具の隠し額、辻子の先代も同様に昔は餝金具の隠し額が主流だったのかな?
素晴らしい隠し額です。



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▲気になったのがこの梅鉢、何故梅鉢が刻まれてるのかは不明…



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▲南嶋(ミナミジマ)と書かれたちりめんの幕、かっこええです。



《おまけ》

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▲先ほど述べましたこけら葺き部分。
例えばで言うと金閣寺がこの工法だそう、テリが良いですね。



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▲堺型の特徴である屋根、屋根の上にはふとん台があり屋根に被さる感じになります。
ふとん台にも地彫りが施されてますが、ふとん締めの金具が付いてました。



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▲また、屋根とふとん台の接合部分です。
ふとん台の下側にも地彫りの細工が。



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▲欠損した彫物、金具はきちんと取り置いておられました。
大切にされてますね、感動です。



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▲竹で編んだふとんもありました。
ふとんの事をカゴと呼ぶのはこのような竹で編んでいたことからカゴと言われるようになったみたいです。




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▲1659年の写真です。
この頃は元気よく担ぎ出されたんですね、月洲神社と南嶋の文字が確認できます。




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▲現在、月洲神社では夏祭りに子供達が中心となり獅子舞の奉納を行なっているようです。
秋祭りに太鼓台が出てたみたいですが現在では神事のみみたいです。



最後に・・・。
復活してほしいと切に願っています。
しかし、人手不足が懸念されている世の中復活するのは難しい事だと思います。

それでも倉庫に太鼓台がある事によって子供達が太鼓に触れる機会があり、また太鼓台の存在を知るチャンスでもあります。

いくら物置状態になっても、倉庫に太鼓台がある限り太鼓台には大切な役割があると思います。

僕が思った事、感じた事、そしてどれだけ良い太鼓台なのか、全て神社の方にお伝えさせて頂きました。


神社の方には大変お世話になりまして、ありがとうございました。

倉庫に眠る銘太鼓台でした。

昔の堺の祭

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以前に見せて頂きました堺市南嶋ふとん太鼓。
現在は休止してますが、堺には明治~昭和初期にかけて多くの地車や太鼓台が街を練り歩いてました。


昔の堺の祭は一体どの様なもので現在と比べてどう変わって行ったのか、深く掘り込んでみたいと思います。



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堺の旧市街を中心に、戦国時代には貿易業、江戸時代には紀州街道の宿場町、江戸~明治にかけて紡績業、漁業、建築業が盛んで堺の街は大きく栄えました。

余談ですが10月に行われる堺まつりに出場する太鼓台はこの旧市の太鼓台が中心。
近年石津からも1台ずつ持ち回りで出場するようになりましたが、百舌鳥も石津も参加しないのはこのような理由があるからです。



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香川や新居浜などの四国から九州長崎のコッコデショなど西日本各地に太鼓台が広まって行ったのも堺からです。
長崎のコッコデショは堺出島より伝わったと記録が残ってるそう、それだけ堺から伝わって行くものも多かった反面、西洋の文化が入ってくるようになってノスタルジックな建物も多く存在したとか…



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明治に入り前政府が創設した “国家神道”
この動きにより祭礼、すなわち神賑行事が庶民の中で活発になりたくさんの地車が製作されるようになりました。
◯丁目単位で地車を所有し、堺旧市から住之江、住吉にかけて多くの地車が存在しました。
住吉大社の裏手には住吉型地車を得意とする住吉大佐、金岡には堺型地車を得意とする河村新吾、堺市内には彫又一門など多くの地車大工、彫師が居てました。



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そして徳川幕府の時代が終わった事によりこれまで御法度であった太閤さん関連の彫物を彫る事も許され各彫師さん達は腕を競い合ったのです。



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明治29年の地車騒動を機に、地車を曳いてはいけない事になりこれまで地車だった町も淡路に太鼓台を買いに行ったり新調したりして太鼓台に変わって行きました。



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太鼓台ブームは大正~昭和初期にかけて訪れ堺型太鼓台も誕生しました。
しかし、大和川の氾濫や水害、昭和9年の室戸台風、何より昭和20年の堺空襲により旧市は壊滅的な被害に遭い、歴史的な建物からもちろん太鼓台まで焼夷弾の影響で燃えて無くなりました。

僕ら河内一帯は空襲を受けず “米兵撃滅” などと謳った提灯や幕を掲げて祭りを行ったり村の若者が出兵する際に太鼓台を出したりしてました。



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奇跡的に残った太鼓台も戦後人手不足で担がなかったりしてお蔵入りになったり処分されたりして今はもう見る事が出来ません。



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どれほど堺という町が栄えて中心となっていたか僕らでは想像出来ませんが、地車や太鼓台の保有台数はかなりのものだったと思われます。

また昨今人手不足が懸念されてますが昔ようさん作りすぎたんちゃう?と思う所もあります。

改めて堺ってすごいな、と思いました。

楽音寺先々代太鼓台

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八尾市楽音寺、八尾市と東大阪市の境界であります。



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現在は平成15年に吉為工務店で新調された太鼓台が活躍しています。

先日、とある方から楽音寺の先々代の写真が見つかったという連絡を受けて拝見してきました。



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▲昭和28年撮影
どうですか?厳ついでしょ?これが楽音寺先々代(初代)太鼓台です。
楽音寺先々代は正真正銘貝塚型太鼓台でした。
1本のふとん締めの両隣には “樂音寺” と書かれた行灯が・・・かっちょえっ!!



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▲昭和28年撮影
当時ではものすごく大きい太鼓台でしたが、この太鼓台を前後左右一番棒の華に1人ずつ入って4人で担いでたそう…
その事を “四つ頭” と呼んだそう、今では考えられません。



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▲昭和28年撮影
中河内独断の笹が付き、御花御礼の紙をぶら下げます。
この太鼓台は貝塚の遊郭に展示されてあった “置太鼓” と言うもの。
それだけ当時の花街は賑やかで活気付いてたんでしょう、現在は無くなってますが駅前の商店街から1本入ると遊郭跡が残ってます。



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▲昭和26年撮影
先ほどの写真と違うのは黒トンボ(黒魔羅)だと言う事。
あともう一つ注目して頂きたいのが衣装です。
皆さん締め込み姿で、村相撲が盛んだったこの頃、まだ法被を着るという文化が無かった為皆さん締め込み姿なのです。
今となっては揃いの法被、衣装を着るのが当たり前ですがこの頃は締め込みが儀礼装束だったのです。

また、ふんどしとは言ってはいけません。
現在でも播州や博多祇園山笠など締め込み姿で祭を行っている地域はたくさんあります。
その地域の方々からしたらふんどしと呼ばれるとムッとするそうです、ふんどしは下着で締め込みは儀礼装束なのです。



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▲昭和26年以前撮影
この写真の中に化粧廻しを着用してる方が写っています。
村相撲で勝ち進んだ者が化粧廻しを締めます。



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▲そして村で1番強い者と2番目に強い者が太鼓台や地車の前に化粧廻しを締めて乗る事が出来たのです。
これは楽音寺に限らず村相撲が盛んだった地域で見られる事で、現在では主に北河内地域で見られます。



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▲しかし昭和30年手前に先々代の貝塚型太鼓台が転倒、転倒を機に淡路型太鼓台を新調したそうです。
写真は先代(二代目)太鼓台入魂式。



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▲楽音寺先代太鼓台は現在は万願寺式部へ嫁ぎ活躍しています。



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さて、今年の高安夏祭り!!
毎年、海の日直前の土日に行われ最終日には旧外沿い松の馬場にて担ぎ合いが行われます。

神立、楽音寺、水越、大竹、千塚の5町で行なってましたが、今年から大窪、郡川が加わり合計7町で行われる事になりました!!!パチパチ


ますます盛り上がって行く事でしょう。

艮 春祭り

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先日の日曜日、艮で春祭りが行われました。
村中にある賽之神神社の例大祭に伴い毎年、艮の小太鼓が巡行されます。

3月とは言え暖かい気候の中、村中に太鼓の音が響き渡りました。



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午前10時半頃、中央大通りの南側で発見!
小太鼓なので子供中心の巡行です。



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ちょーさじゃ、ちょーさじゃ♪



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補助棒にも子どもさんが乗ります。
大きくもなく小さくもなく、えぇサイズです。



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大きな道路から村中に入り賽之神神社の前にやってきました。



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宮さんの前は一旦コマで、会館に向かいます。
祝儀袋を下げた笹が良いですね(^^)



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ひとまず会館へ、ここから宮さんまで担ぎます。
この太鼓台を見たのは去年のふれあい祭でした。



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先代大太鼓の彫物を利用して制作された小太鼓・・・詳しくはまた後日。



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さぁ、宮さんに向けて担ぎますよ~!



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大人も入ります。



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太鼓台と枝垂れ梅、いいっすねぇ、春先ならではです。



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細~い道も担いで行きます。
小太鼓だから出来る事、小太鼓やから言うて馬鹿に出来ません。



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再び宮さんの前へ、サーセ!!



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お昼前、個人宅の敷地へ据えて終了です。



いよいよシーズン開幕ですね~~。

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平成30年度 乙川祭り

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皆さんこんばんは。

あったかくなったり寒なったり、まだ3月なんで気温が不安定ですね。

3月17日、一足早く愛知県知多半島の半田山車祭り、乙川地区の祭礼が行われました。
立川流の彫物と華麗な山車、一方で若い衆達の荒々しい祭りが魅力的です。



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10時半頃、現地に到着すると乙川祭りの見どころである坂上げが終わったところでした、あぁ…残念…



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4台揃いました。
しかし、この日は朝から宮入なだけで祭はこれからでーす!!



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これは見とかなあきません、立川流の力神!!
太鼓台を新調するときに立川流の力神を見に来る訳もわかりますわ。



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・・・スバラシイ。



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よくここまで彫り込みますね。



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この欄干の龍が良かったですわぁ!
この龍、勾欄合から飛び出してる形でした(^^)



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最後にいつも驚かされます、欄干の端の細工♪
黒檀、付け木無しの1枚物、凄いです。



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宮入は坂上げ、宮出は坂下ろしです。
坂下ろし1番は浅井山宮本車。



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2番は殿海道山源氏車。



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3番は南山八幡車。



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最後は西山神楽車。



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しばし、西山に着いて行きます。



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山車が揃って曳行します。
半田市内には数十台の山車があり、どの山車も江戸時代後期の製作、しかし祭が終わると全っ部バラして彫物は桐箱に入れて仕舞います。
徹底的に管理してるのでうん百年経っても綺麗なのです。



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坂下ろしを終えた山車は御旅所へ。
まずは浅井山。



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約8人で梶を取ります。



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殿海道山



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一気に切ります。



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南山。



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西山。
御旅所に入った山車は晩休憩、夕方まで動きません。



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18時過ぎ頃、再び御旅所。
山車は提灯を付けて昼間とはまた違った雰囲気に。



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提灯を付けた山車を見るのは初めて、綺麗ですわぁ~。



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電気じゃなくて、ろうそくです!!
太鼓台でもろうそくを使ってる所はありますが、赤提灯ではなく白提灯なのでろうそくの火、本来の暖かい灯です♪



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さぁ、再び浅井山が出発、夜の曳行の始まりです。



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一気に切るところが一気に切れず、僕の所へ突っ込んで来ました、しかも結構なスピードで・・・。
・・・めちゃめちゃ怖い!!本気で焦りました。



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青年団・・・とは言わず、若い衆と呼ぶみたいです。
若い衆は盛り上がってました!



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ずっと後ろを着いて行きます。



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おぉ~良いですなぁ~、落ち着きます。
やっぱりろうそくですわ、なんなんでしょうね、電気とは違う何かがあります。



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ろうそくの灯りに照らされるケヤキが良いですね。



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さっきの写真とアングルは一緒ですが、もういっちょ!!



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4台揃って曳き別れ、各村に帰って行くのです。



夜の曳行はゆっくりとした曳行で、情緒がありました。
しかし、その中にも荒々しさがありそのギャップが良かったです。

また来年です♪

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艮小太鼓

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皆さん、こんばんは。
今日は艮小太鼓を紹介致します。


艮小太鼓 平成6年制作

大工 吉為工務店
彫師 高松彦四郎



《姿見》

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▲吉為製の太鼓台です。
現在の大太鼓を新調する際、先代太鼓台の傷みが激しく処分する話が出たので、先代太鼓台の彫物、そして柱も使って小太鼓を制作したみたいです。

また、四本柱は後に子供が窮屈な思いをしないように地元の大工さんが長く入れ替えたそうです。



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▲先代太鼓台は戦後、淡路島から買ったそうです。
戦後村で太鼓台を買う買わないの投票を行った所、1票差で買う意見が上回り太鼓台を買うことになったそう、そうなると見据えていた若者は投票結果が出た頃には淡路島に行ってたそうです。



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▲正面狭間 大江山鬼退治(酒呑童子)



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▲山伏姿の人物と鬼が出てくれば大江山鬼退治しかないでしょう、地車ではよく見ますが太鼓台で見たのは町水走と艮小太鼓の2台のみです。



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▲右面狭間 大江山鬼退治



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▲金の文字で坂田金時に間違いナシ♪



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▲左手の人物は誰なのか…でも良い彫物ですわ。



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▲左面狭間 大江山鬼退治



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▲個人的にこの左の狭間が気に入りました。
特にこのヤンキーチックな鬼!!まじまんじ。



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▲酒を鬼に呑ませて鬼を弱らせるんですよね。



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▲後面狭間 大江山鬼退治



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▲この山伏姿の人物は欠損が激しかった為に製作時、棟梁がおまけでつけて下さったものだそう。

お気づきかも知れませんが、この太鼓台の狭間4面は大江山鬼退治で統一されていました。



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▲物語の順番としてはこの様な感じでしょうか?
ご教示下さればありがたいです。



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▲木鼻は小太鼓サイズに合わせてました。



《腰廻り》

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▲ここにも先代太鼓台の虹梁が使用されています。



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▲先代太鼓台はどんなんだったのでしょう…



《おまけ》

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▲午前中だけの巡回でしたが台棒、横棒は水拭き→乾拭き→ロープの保護→台棒の保護という形で手入れには徹底されておられました、本体はブロワーで清掃。

大太鼓はもっと徹底されているそうで、子どもは触ってはいけないそうです。
大人の叩き手が乗るときも土足厳禁、地下足袋の裏に小石などが挟まってたら傷がつくので土足厳禁だそうです。



いかがでしたか?
先代の彫物を利用・・・というのはよく聞きますが柱まで先代の物を使っているのには驚きました。
小太鼓ながら素晴らしい太鼓台でした。

客坊春祭り 2018

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皆さんこんばんは。
高校生が終わり社会人になりました、私。
う~ん・・・祭り見に行く余裕あるかな?
自分とこだけで精一杯かな?・・・なんて言う不安ばっかりですが、目の前目の前の壁を一つ一つぶち破って行ったろうと思います。


さて、先日の艮に続き、客坊でも春祭りが行われ小太鼓が巡行されました。

ここ何年かは連続で来てますが、桜と太鼓台が最高なんです~。



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客坊の山の上にあります、市杵島神社。
“弁天さん” の愛称で親しまれ客坊の村の神さんなのです。



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今年はちょっと散ってましたね。
でも綺麗に咲いてくれてました(^^)



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お昼前に宮さんから町内へむけて出発!



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市杵島神社がどんなけ山の上にあるかがよく分かると思います。
・・・景色がええですわ。



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町内をゆ~っくり巡行します。



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ドンデンドン、やっぱり太鼓の音はええっすなぁ!



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ここで休憩に入ったので、次の目的地へ移動する事にしました。



この後は高石へ♪

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~高石神社~ 神輿完成奉告祭

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客坊の春祭りの後は高石へ、高石神社の神輿完成奉告祭が行われました。
高石神社は泉州では珍しく祭りの日に神輿の渡御が行われます。

数年前に渡御が復活して今回は神輿を改修されました。



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っとその前に・・・。
行きしな北村が待機してたのでちょっとだけ見せてもらいました。



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彫物は田沼源治、えぇ彫物です♪



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・・・良い。



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酒呑童子、大江山鬼退治!!



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さて、神輿を探す事に。
時間事に各氏子で担がれ、僕が行った時は北新町にいました。



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植山工務店で改修されたました、このお神輿ですがなんとなく石切の神輿に似てると思ったのは僕だけ・・・?



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いよいよ出発です!!



道路に出るなりサセ!!
・・・勢い半端ないっす。。


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サセしながら歩きます。
ええどぉ~~面白い!!!



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そしてしゃくります!!



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巡行は伊勢音頭を唄いながらの巡行。



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また差し上げます。



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ライフ前までやってきました。
10月のだんじり祭ではメイン交差点になります。



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ライフ前でグルグルグル回します・・・イッケイケでした(^^)



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ライフ前を大阪方面へ、新村へ向かいます。



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サセしたりしゃくったり、伊勢音頭を唄いながら皆さん楽しんではりました。



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もうすぐで新村、北新町はここまでです。
最後はお約束、ソーリャーソーリャー⤴



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最後の最後にサーセー!!



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台車に乗せたところで北新町から新村へ引き渡し。
ここまで見て高石を後にする事にしました。



この度は神輿改修完成おめでとうございます。

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五条史跡公園展示太鼓台

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皆さんこんばんは。
本日は奈良県五條市にあります、五条史跡公園の建物内に展示されてます太鼓台をご紹介します。

この太鼓台は奈良県で活躍していた太鼓台で詳しい事は不明。
しかし大昔のふとん太鼓の原型を残す貴重な太鼓台でした。



五条史跡公園展示太鼓台 (恐らく)江戸時代後期~明治にかけて制作

大工 大坂の大工
彫師 相野一門(恐らく相野藤七)


※製作年代、大工、彫師については個人的な推測です。



《姿見》

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▲デーン!!!写真では判りにくいですが、めちゃくちゃでかいです!!
型式垂木付きの大阪型大太鼓です。



《屋根廻り》

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▲垂木ついてんのに大阪型?けったいやなぁ~、と思う方もいらっしゃるかとは思いますが、大昔は多く存在したそう。
・・・詳しくは5月以降に…



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▲組物は大斗と肘木の上に桁がくるあっさりとした組物、その中にあっさりとしつつもぎっしり彫られた狭間が良いですね。



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▲正面狭間 波に龍
線の細い龍・・・何より虹梁も素晴らしい!!



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▲波の躍動感がもの凄いですわ。



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▲正面の虹梁は松。



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▲凄いのが付け木ではなく一枚物で彫り込んでいる事。
なので欠損が少なかったです。



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▲右面狭間 親子の虎



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▲右の虹梁は菊。



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▲左面狭間 親子の虎



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▲虹梁は水仙でしょうか。



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▲後面狭間 波に飛龍



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▲アップで、これが良かった!!



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▲木鼻ですが、これが逸品でした♪



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▲手をペロッと舐める獅子、この意匠を見た時は彦四郎かなと思ったんですが…



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▲度正面から、良いですね!



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▲肉球までしっかり彫られてました。



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▲組物は籠彫り。



《腰廻り》

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▲土呂台はこのような珍しい細工でした。
バッテンではなくて丸、粋ですね~。



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▲欄干は跳勾欄です。




《おまけ》

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▲この五条史跡公園にはかつて2台の太鼓台が野ざらしになっており、1台は展示されもう1台は処分、しかし一部のみ見ることができます。



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▲獅子の子落としの場面、良い彫物です。
この彫物は相野藤七です。



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▲親獅子アップで、良いですね。



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▲子獅子も良いです。



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▲木鼻。



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▲狭間は裏側まで彫られてました。



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▲虹梁の金具は獅噛でした。
相当豪華な太鼓台やったに違いないです。



良いものを見ることができました。
五条に眠る銘太鼓台でした。

上六 桜祭り

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皆さんこんにちは。
昨日は上六桜祭りへ行ってきました。
上六の老人ホームで行われ、上六は小太鼓の参加、別枠で楽鼓会の太鼓台が参加しました。

地元の方々を中心に盛り上がってました。



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僕が着いた頃にはもう始まってました。
上六、楽鼓会共に朝から組んだそうです。



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まずは楽鼓会。



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ええ音なってました(^^)



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こちらは上六の小太鼓。
彫忠製の太鼓台でちょうど良いサイズですね。



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大人も混じって担ぎます。
・・・今日はまぁ、ゆる~く、ってな感じでしょうか。



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皆さん楽しそうです。



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前は上六青年団、後ろが楽鼓会。



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こんなけ見てたら混じりたくなりますね。
でもそれはぜったいあきまへん、上六にも楽鼓会にもお世話になってる方は居てますが『法被貸したろか?』や『ちょっと入れや』の一言に惑わされてはいけません。
よそ者が入ることによって輪が崩れてトラブルの原因になるので、このようなモラルはしっかり頭においとかなダメです。



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しかし、人手不足で助っ人ととしてよその太鼓を担いでる人も少なくないと思います。
実際僕もそうです、助っ人で祭りを楽しむのは大いに構いませんが、自分勝手なことをするのはご法度!!
1人の助っ人の行動がその村の印象にも繋がるので自分の村の法被を着てるんや、ぐらいの責任感を感じて参加しないとダメやと、僕は思います。



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さて、楽鼓会太鼓台本体ですがこの太鼓台は町水走の先代太鼓台になります。
・・・狭間は金綱で見えません。



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虹梁の唐子遊び、琴棋書画が良かったです!



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午後3時頃、イベントが終了し老人ホームから駐車場へ移動します。
上六の小太鼓は小屋へ帰って行きます。



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ここで楽鼓会の太鼓台は全てバラされてトラックで搬出されます。



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やっと狭間が見れた!!
彫物は小松や相野など浪花の彫師かなと思いましたが、詳細は不明…



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気になったのがこの麒麟。
ん?太鼓台に麒麟・・・?
ひょっとしたら地車の彫物やったかも知れませんね、てか、たぶんそうかと…



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帰りしな上六の大太鼓を見せて頂きました。
またゆっくり見なあきません!!



当日、ブログ見てるで、とお声をかけて頂くこともありまして楽しい1日でした。
言うてる間に小太鼓祭り、その後はふれあい祭りですね~。

伊弉諾神宮春季例大祭⑴

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4月22日、何年か振りに淡路へ行ってきました。
淡路市伊弉諾神宮、淡路国一宮で格式高い神社で、簡単に言うと伊勢神宮の親元の神さんが祀られてるそう。

伊弉諾神宮の春祭りは毎年4月21.22日の固定で今年は土日に被りました。
また土日に被ると隣地区の育波からも壇尻が宮入します。



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お昼前、現地に着くと既に数台の壇尻が参道に待機中でした。



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さぁ、彫物を見ていきましょう。
素直な事を言うと・・・ええ太鼓ばっかりやん…
でも圧倒的に開正藤、生眠親子の彫物が多いですね、そら開親子の聖地ですから…



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ほんまにええ太鼓が多いです。
・・・保存状態も良いですわ。



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正藤の勾欄合て珍しないですか?



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提灯金具にしても豪華です。



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こちらは大阪の高松彦四郎の彫物。
明治~大正にかけて淡路の多くの壇尻が大阪を始め各地に売却されましたが、逆に大阪から淡路へ行った太鼓台も多く存在します。



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と、言ってる間に太鼓の音が。
撫の壇尻がやってきました。



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後ろには土日が被った時にしか来ない育波の濱の壇尻。
先に言っときます、この太鼓、貝塚型です!!!



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あぁ、すごい!!ほんまに貝塚型!!
でも柱は角柱で固定されてましたし、土呂台も修理で変えられてるので実際枡組ぐらいしか残ってません。



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一枚物ですがええ彫物です、二代目高松彦四郎で堀之町の先代です。



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いよいよ宮入です。
1番は大町上。



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拝殿前に据えて伊勢音頭の奉納。
担ぐ担がんよりこの伊勢音頭が淡路では重要視されてます。



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サーセー!!
サセの事を淡路では捧げる(ササゲル)と言います。



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2番は大町下。
コマをつけての巡行でした。



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3番目は下河合。



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さっさげまーしょ!さっさげーましょ!!



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4番目は井手。



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台棒の質感、いいっすなぁ~。



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5番目は中村。



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6番目は大木。



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上条と合同でした。



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7番目は北山。



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北山がイケイケでした、何よりよそからの応援無しで担いでましたから。



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8番目・・・っと行きたい所ですが、参道を淡路では唯一の下地車の里が走ってました。
何を隠そうこの地車は高石の大園先代です!!



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再び宮入に戻りまして8番目は撫。



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9番目は当浜。
当浜のみ正門からの宮入です!アツイ!!



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10番目は里。
いきなりやり回し~!!



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2発決めてくれました。



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11番目、トリを飾るのは育波からやって来た濱。
貝塚型のごっつい太鼓、人数・・・すごい威圧感と迫力です!!



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伊勢音頭の奉納。




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濱はさすが漁師町だけあってよう暴れてました。
濱の人にとっても憧れの舞台やったでしょうね(^^)



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第2弾は宮出~夜巡行です!!

伊弉諾神宮春季例大祭⑵

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遅くなりましたが第2弾です。
宮入が終わり昼休憩が終わると宮出、各壇尻は村へ帰っていきます。



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宮出でも伊勢音頭を奉納します。



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北山は捧げながらの伊勢音頭の奉納、すごい!!!



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さぁ、最後は育波の濱~!!



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やっぱりイケイケですわ、すごい・・・。



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何処も境内から参道にかけてはコマでしたが濱は担いで参道までやって来ました!



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新緑の中を担ぎます。



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参道の途中でも捧げます。



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やっと宮さんの外まで来ました。
・・・しゃくります!!



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なんぼ太鼓が落ちかけても・・・地面に着く限りはしゃくり続けます。
ほんまに淡路か?というぐらいの勢い、やっぱり漁師町だけあって勢いはダントツですわ。



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日が暮れまして里の商店街に撫、濱、里、当浜が集まり練り合いが始まります。



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濱はしょっちゅう担いでました!



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里と濱。



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太鼓台と下地車って珍しないですか?
堺の浜石と上石津と東大阪の六郷ぐらいしかないはず、何よりこの2台は元は泉州生まれです(^^)



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里のだんじりは走る!走る!!大園の方々も応援に来てました。
ソーリャーソーリャー!!



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撫の壇尻。



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捧げながらしゃくります!
おぉ~!ええど!!面白い!!



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祭・・・まつり・・・マツリ・・・。



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好きなタイミングに好きなだけ担ぐ、そんな雰囲気でした、良いですね。



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渡御の神輿が帰って来ましたが、神社に帰さないように進むのを阻止します。
神輿が帰ってしまったら祭りは終わりますからね。



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神輿も帰り、濱と撫も帰って行きます。



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最後は里のやりまわし~!!
ええもん見れました(^^)



淡路では珍しく多くの町が担いでましたが担ぎ出したのも最近だそう、大昔は担いでたものの10年15年ほど前は何処もコマやったようですが、これじゃあかん!という事で各町担ぎ出したそうです。

これからもこの村祭りを続けていってほしいですね。

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GW 2018

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皆さんこんにちは。

GWはどうお過ごしになられましたか?
社会人になって最初のGWでしたが、遠くへ行くことも無く・・・僕は祭りと買い物だけでした。



【4月29日】

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この日は梅町の大運動会。
運動会に出てました個人所有の太鼓台を見学させて頂きました。



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金綱の刺繍ふとん締め、この意匠いいっすなぁ~。



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狭間もしっかり彫られてました、四條の末広先代になるそうです。



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昔の太鼓台に見られる長方形の太鼓台、貴重ですね。



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餝金具です。



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ご好意で梅町の会館に上がらせて頂きました。
太鼓台に変わる前、地車時代についていた獅噛、いかにも堺型を連想させる良い獅噛でした。
当日はお世話になりました、ありがとうございます。



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晩から長瀬パレード。
まずは長瀬のだんじり、大蓮の商店街に横沼のだんじりが集まってました。



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衣摺。



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柏田。



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大蓮南。



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帰りに横沼、ここまで見て帰りました。



【5月4日】

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お昼前から東小路へお邪魔してきました。
翌日の小太鼓祭りに向けて組んでました。



【5月5日】

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昼からちょっとだけ小太鼓祭りへ、商店街を瓢箪山はサンロードから担ぎます。




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サンロードのお膝元、河内の小太鼓はサンロードで担いでました。



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夜から神戸は住吉へ。
今年で引退する住之江です。



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御旅所でシャントセ~~。



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神戸のだんじりでいつも見るのが装飾なんです。
吉田の昼提灯なんてほんま凄いです。



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ほんま豪華ですね、惚れ惚れします。



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御旅所から神社へ向かって出発です、まずは宮本の西。



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茶屋も出てきます。



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吉田。



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先ほど昼提灯が凄いと言ってましたが、夜の提灯に変わってました。
・・・洒落てますなぁ~。



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住吉から本山に移動しまして田邊。



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岡本駅の方へ上がって行きます。



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後ろには岡本。



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岡本も駅へ上がって行きます。



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駅へ上がる岡本、駅でUターンして下る田邊、どちらも道を譲らなかったのでしょう、すれ違う場面がありました。



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それにしても岡本の洒落た街を行く地車・・・岡本の魅力ですね、大好きです。



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野寄も近くに居てました。



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最後は魚崎、花火が上がってました!



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魚崎で神戸は終了しました。



【5月6日】

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最終日は平野区背戸口の入魂式、市内に用事があったので帰りに寄りました。



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ここまで見て帰りました。
今年のGWはカメラを持たず目で楽しみました。

雨。。

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今年のふれあい祭は雨でしたね、残念…

今年はふれあい祭の前日にウロウロしてきました。
花火が上がる中、花火そっちのけで太鼓見てました。笑



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新家はいつもの倉庫で組んでました。



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う~ん、ごっつい!!
ふとん締めの金綱だけでも1本30~40キロあるでしょうか。



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小屋では小太鼓がポツンと…



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続いて本郷。



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神話物で統一された狭間、組物の力神の配置、良い意匠ですね。
組物は黒檀で彫物がケヤキなので彫物が際立ちます。



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大下×木下の太鼓台、このような意匠を見ると泉州の大工さんやなと思います。



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小屋にて発見、地車のものだと思われし彫物。
本郷の方に聞きましたが詳細は不明…



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最後は市場。
会館と小屋が離れており、会館では前夜祭の最中でしたが僕らのために青年団の方のご厚意で小屋を開けて頂きました。
ご丁寧にありがとうございました。



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いつ見てもげっらいなぁ~!!
でもボテ自体はそんなに厚くありません、やっぱり太鼓台本体がごっついです。



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このブログでも何回も言うてますが市場と言えばこの腰組ですよね、ふとん太鼓腰組勾欄第1号目です。
さすが播州毛利工務店、粋ですね。



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腰組のお陰で腰回りが高く、欄干と四本柱は黒檀を使用。
餝金具が無いため、腰組が引き立ちますし横に広い木取りが目を引きます。



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組物と組物の間にも蟇股と呼ばれる彫物が入ります。
組物と組物の間の彫物を寺社仏閣でも蟇股と言いますが同じなんですね。



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小太鼓です。
組物は簡素化されてましたが、いや、これはこれで成り立ってますね。良いです。



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小太鼓も腰組、小太鼓ではなくて子太鼓ですね、親太鼓と子供太鼓で(^^)



一口に “太鼓好き” と言っても太鼓台の彫物や装飾を見る事が好きな人、担ぐ(参加)するのが好きな人、様々です。
担ぐのが好きな人にとっては雨という残念なコンディションでしたが、太鼓台を見るのが好きな僕にとっては良い時間でした。


快く見せて頂きありがとうございました。
また、市場の青年団の方、前夜祭中にもかかわらず小屋まで行って開けて頂いてありがとうございました!
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